ラリーエリソン
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ラリーエリソンは1944年に米国ニューヨーク、マンハッタンのイーストサイドで生まれました。
母はそのとき19歳、父親は近所の名も知れぬ少年だったそうです。いわゆる私生児として生まれたエリソンは、シカゴに住む叔母の元に養子として預けられました。エリソンという苗字は養父母のものです。
1962年イリノイ大学のシャンペーン・アーバナ校に入学するも、2年で中退します。その後シカゴ大学に入りましたが、ここも長続きしませんでした。ただ、エリソンはシカゴ大学にあったIBM1401コンピュータを使用したプログラミングを初めて学びました。
この時の経験が生き、1966年にカリフォルニアに出てプログラマの仕事をするようになり、その後プログラマやIBMマシーンの保守要員などの仕事で、いくつかの会社を転々とします。
やがて彼は、アンペックス社にプログラマーとしての職を得ます。アンペックス社は当時、CIAの資金提供でビデオテープを使用したデータ検索システムを開発していました。このプロジェクトのコードネームは「オラクル(神託)」と名づけられていました。ここでエリソンは、後にオラクルの共同創業者となるボブ・マイナー、エドワード・オーツと出会っています。
エリソンは、一旦プレシジョン・インスツルメント社にシステム開発担当副社長として移籍しますが、1977年33歳の時エリソンはアンペックス時代の仲間ボブ・マイナー、エド・オーツに声をかけて、ソフトウェア開発研究所(SDL:Software Development Laboratories)という会社を設立します。
SDLは1970年にIBM研究所のエドガー・コッド博士が発表したリレーショナル・データベース(RDB)の理論に着目、コッド理論に基づいて開発されていたシステムRをベースにしたソフトの開発を始めます。その後SDLはリレーショナル・ソフト会社(RSI)、1983年にはオラクルと名を変更しています。
RSIは偶然にリレーショナル・データベースに目をつけたCIAからIBMマシーンと、DECのVAXの両方で動かせるRDBの開発を受注、また海軍からUNIXマシーンで動かせるような注文を受けます。エリソンらはこれをC言語で書き換えることにより移植性を確保します。どんなマシーンでも動かせるソフトをもっていたオラクル、はRDBの普及とともに莫大な利益を得るようになります。
巨大企業となったオラクルの創業者ラリーエリソンは、個人資産でマイクロソフトのビル・ゲイツに肉薄しているようですが、2人の仲の悪さは有名。
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