秋葉原通り魔事件
上海の市街地にある事務所の机でかすかな揺れを感じてからほぼ一ヶ月、震源地近くではその時から今までに7万人近くの人達がこの世を去り、四川大地震という悪魔の爪に引っかかれた山肌から崩れ落ちた土砂は水を堰きとめ、かの地の川に無数の動脈瘤のような巨大な水溜りを形成し、時ならぬ災いに打ちひしがれた無人の街を今また飲み込もうとしている。
そんな折、わが故郷のオタクの聖地で一人の若者が自分の行動をネット掲示板で実況中継しながら、真っ赤に熟したりんごに矢を付き立てるように歩行者天国でごった返す人の波にトラックで突っ込んだ。動けなくなった車を降りた若者の刃は次々と無辜の身体を劈き、7つの命を奪って止まった。
「なぜ他の人は幸せそうなのに、俺だけこんなに不幸なんだ?世の中は不公平じゃないか。でも、俺は俺自身の手でこの不公平を解消する方法を知っている。不幸な俺が幸せなあんたを殺して、俺が死刑になれば世の中いつでも平等にできるのさ。そして、どんなにたくさんの人を殺してもこっちが支払うのは自分の命ひとつならローリスクハイリターンだ、できるだけ派手に俺の平等社会を作ろうじゃないか!」
ある日、こんなことを考えて実行に移す人がいるなら防ぎようがないし、気をつけようもない。現代の日本は犯罪を犯したものを法律に従って罰することができるが「刑務所に入れらても、死刑になってもかまわない」と考えて、人を殺める人間を止めるすべはないのである。
秋葉原で起きた通り魔殺人事件のあと、大宅映子さんが以下のようなコメントを出していた。
「誰でもいいから殺したいというだけで、何人もの命を奪う事件が起きたことに、社会全体の犯罪抑止力の低下を感じる。自暴自棄になった末、命を何とも思わないような行為に走る人間には、防犯カメラや巡回パトロールの効果はなく、防ぎようがない。同じような事件が起きないようにするため、子供のころから命の尊厳を繰り返し教え込むなど地道な努力を積み重ね、安全な社会を築くしかない」
おっしゃっていることはもっともで理想的だ、だけど空しい。世の中には恵まれた人たちと虐げられたり、悲惨な境遇にいる人たちが共存しているのは厳然とした事実で、個人個人の感じ方も千差万別だ。「自分は他の人に比べて理不尽に不幸だ」と感じている人たちのうち一定の割合に対しては、”命の尊厳”より”今生の不条理”の解決のほうがやはり優先してしまうのではないだろうか?
人間である限り、一定数の人々は「他の人も自分と同じぐらい不幸になればいい」と考える人がいるし、その中のごくわずかな割合でそれを実行してしまう人がこれからも出てくるのだろう。
下関通り魔殺人事件
池袋通り魔殺人事件
附属池田小事件
津山事件
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