豊田泰光講演会
7月14日、チムサチョイのホリデーインで行われた豊田泰光氏の講演会に行った。今回、香港に来たときの予定には入っていなかったスケジュールで、普段は講演会やセミナーなど顔を出したこともないおいらがそこに行ったのはまるで運命に導かれるようだった。
きっかけは、今回の旅に初日行った広州でTちゃんから勧められたからだ。7月15日に香港から上海に戻る予定だと告げたおいらに無類の野球好きで自分自身も高校野球のエースとして鳴らした彼が、「じゃ、14日に香港で豊田さんの講演があるから言ってくれば。俺も本当はすごく行きたいのだけど」と、講演会の申込書をくれた。彼はその時期にベトナム出張を予定していたのだ。
豊田、といえば現役時代全盛期の西鉄ライオンズの2番ショートで、サンケイアトムズ時代に伝説の2日連続代打サヨナラホームランを打ったことのある選手で野球解説者としても有名だという認識はおいらにもあったが、とくに興味があるわけでもなくそういうことに対しては極度に面倒くさがりやのおいらは「気が向いたら行こう」ぐらいに考えていた。
講演会の申込書は必要事項を記入したあと、FAXで主催者に連絡する必要があった。この点は12日にミーティングをしたチャイナワールドのオフィスからFAX送信することでクリアできた。しかしこの時点でも一応申し込んだというだけで本気で行こうとはまだ考えていなかった。
講演会の当日である昨日は朝からZETSでミーティングをした後、チャイナワールドのUさんを昼飯にでも誘おうと電話をしたところ、あいにくUさんは先約があったようだが、「私も今日の講演会に行くのでもしかしたらそこでまだお会いしましょう」と言っていた。一応「では、のちほど会場で会いましょう」と返事はしたもののそれは一種の社交辞令的な挨拶で、その時点でも自分が講演会に行くということに実感がなかった。
Uさんとの昼食の予定がなくなったおいらはなんとなく、というか本来は必ず行かなければならないのだが、今回自分が設立した会社の法人銀口座の開設をしようとHSBCに行った。事前に何も調べずに飛び込みで行ったので、窓口で口座開設にはアポイントが必要なことを知ったのだが、同時に口座開設に必要な書類も足りないことに気がついた。結局、不足した書類は会社設立の一切を仕切ってくれたチャイナワールドから取り寄せることが必要だったので、午後Uさんのオフィスに行ったのだ。
そこでまたUさんと講演会の話になったので、開演まであと1時間たらずだったし、特にすることもなかったので行くことにしたのだった。実にほとんど行く気がなかったにも関わらず、いろいろな偶然に動かされて会場に向かうことになった。
ついでに言うと、おいらは現地に着いてから地下3階にある会場を地上3階と勘違いした関係で一度3階に上がってから地下3階に下りたのだが、その途中に止まったGFでUさんが乗ってきた。それで、おいらとUさんは講演のときに隣に座ることになった。
豊田氏の話は73歳という年齢にもかかわらず矍鑠として言いよどみがなく非常に聞きやすかった。話題も自身の選手時代のことが中心で、中西、稲尾、仰木など往年の名選手が呼び捨てで出てきて当時の豪快な西鉄ライオンズのチーム内の情景が目に浮かぶようだった。
講演会は豊田氏の講演、豊田氏と日経新聞編集委員の対談、質疑応答という順番で行われたが、そこでおいらは質疑応答で何か質問をしなければならない、もしくはせめて質問することを思いつかなければならないという観念にかられた。最近、妙にそういう場で質問のできる人でありたいと思うのである。しかし、そうは思っても実際に質問したいことなど思いつかない。少し、情けない気持ちになった。
そうこうしているうちに数人の聴衆が質問を始めた。質問内容は以下のようなものであった。
・茨城出身の豊田さんが九州の球団である西鉄ライオンズを選んだ理由は?
・自分は長嶋や渡辺恒夫が日本のプロ野球をダメにしていると思うが豊田さんはどう思うか?
・豊田さんはプロ野球選手で始めてレコードを出した選手で歌が非常に上手だと記憶しているがここで歌ってはいただけないか?
・豊田さんのプレッシャー克服法は?
・選手に「この人のためなら死んでもいい」と思わせる三原監督は監督(管理者)としてどういうところが優れていたのか?
スポンサードリンク
1788
36629