おいらのオリンピック
8月8日、北京オリンピックの開幕である。チベットの暴動、四川の大地震、数千件を数えるデモ・暴動、かつてこんな状況の国で平和の祭典オリンピックが行われたことがあっただろうか?ともあれ、おいらにとってははじめて住んでいる国で行われるオリンピックが始まる。
2004年アテネ、おいらは香港の駐在員だった。大学を卒業してからはじめて入った会社では、「君には将来的にアテネの駐在に行って欲しい」と言われたことがある。その会社が1990年代中ごろの円高や阪神大震災などで急激に廃れていくことがなければ、もしかしたらアテネにいたかも知れない。仕事から帰る頃に始まる競技を深夜まで見ていた。おいらが高校時代にかじった体操競技で、男子団体が28年ぶりの金メダルを獲得。中国飛び込み選手の郭晶晶はべっぴんさんだった。
2000年シドニー、おいらは上海の駐在員だった。1990年代初頭、シドニーで暮らしていたときちょうどオリンピックの誘致をしていて、シドニーオリンピック開催をサポートするTシャツを買ったことがあった。結局、シドニーは誘致に成功してこの年にオリンピックを開催した。当時入っていた上海の野球チームの仲間がシドニーへ行き、女子マラソンの応援でチームのユニフォームを着て日の丸を振っているからテレビを見ていてくれと言っていた。しかし、高橋尚子が独走態勢でカメラが追い続けていたにも関わらず、テレビに映ったそいつはユニフォームを着て、日の丸を持ったままボーっと立っていた。
1996年アトランタ、ちょうど上海の語学研修を終えて仕事を始めるあわただしい時期だったので、あまり中継を見た覚えはない。サッカーのオリンピック代表がブラジルに勝ち、爆弾テロが起こったぐらいの印象しかない。
1992年バルセロナ、東京で勤め始めて2年目、武蔵野のアパートで見ていた。シドニーで知り合ったシンや英次がよく遊びにきていたっけ。HIVに感染して今もまだ生きているマジックジョンソン率いるバスケットボールのドリームチームが衝撃的だった。アメリカ競泳のサマーサンダースがべっぴんだった。
1988年ソウル、大学3年だった。バイクの旅にのめりこみ、ツーリングの途中に寄った食堂で仲間と100m走の決勝で誰が勝つか賭けた。おいらはカールルイス、実家が隣同士で下宿先のアパートも近所だった江越はベンジョンソン、江越と同じアパートに住んでいた松島はそれ以外の奴に賭けるから勝ったら2倍よこすように言った。結局即金で江越に払ったが、その後ドーピングで摘発されたジョンソンの金メダルが剥奪され、カールルイスが繰り上げで金メダルを取った。賭け金は帰ってきていない。
1984年ロサンジェルス、高校3年。夏休みに行った新島で見る。体操部を引退してすぐのこと、特別の興味を持って見た体操は10点満点連発、当時どう見ても実力的に劣っていたアメリカからのメダル獲得者続出とひどいものだった。
1980年モスクワ、中学2年。日本はボイコット。落胆した山下泰裕らの顔を思い出す。
1976年モントリオール、小学校4年生。満身創痍の大逆転でオリンピック5連覇を飾った男子体操、エース笠松の急病で補欠から繰り上がった五十嵐選手がなぜか印象に残っている。
1972年ミュンヘン、幼稚園。女子体操選手のコミカルな演技をなんとなく覚えている程度。オリンピックを沸かせたオルガコルブトだったのかもしれない・・・
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