他力本願の構造
今回の北京オリンピックで異様に日本のメダル獲得状況を気にしている自分に気づいた。一日の競技の予定を詳細にチェックし、日本の選手がメダルを獲得できそうな種目を探して、その結果を楽しみにしている。期待していた種目でメダルを逃すとひどくがっかりした気持ちになり、時には「なんだよ、ちきちょう」などと自然に声が出てしまう。
思い返してみると以前はそんなことは無かった。たしかに日本の選手が金メダルでも獲得するとうれしいのはうれしかったが、前もって日程をチェックして結果が出るのを待っていたりしなかった。ましてやもちろん声はとどかないとは言え、期待が裏切られたからと選手に対して不満を言うなどとは・・・血反吐を吐くような思いで精進しオリンピックに臨み、誰よりも勝ちたいと思っている人は当の選手であることはまちがいないのにも関わらず。
20~30代のころは自分の前途がまだまだ豊富だったので、自分に眠っているいつか開花するはずの能力への期待が大きくそういう結果に関心が薄かったのだろう。40を過ぎてさすがに自分の限界を感じている今、せめて自分が所属あるいは支持しているグループ(国家)が優れていることを感じていたいのかもしれない。
サポートしているチームに熱狂し、ときに暴動までおこすヨーロッパのフーリガンは低所得者層で現実社会では救いのない生活環境の中で暮らしていると言われる。日本のプロ野球で口汚い野次をとばしているファンたちも同じようなものだろう。そして今、自分もだんだんそうなってきているのかもしれない。
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